Googleで「馬鹿」になる?
4月27日付のBLOGOSに『Googleによって人間は「馬鹿」になる』というコラム記事
が載っていて、さもありなむと思うことしきりなのです。検索が人間の記憶に及ぼし
ている悪影響が知識は記憶しておくものでなく、ネット上に必ずあり、それは検索エ
ンジンのGoogleが必ず検索してくれるという暗黙裡の了解のようなものがネット社会
にあり、人間は知識を記憶することを止めてしまつたのではないかという疑問をこの
コラムは投げかけているのです。
なるほど、現代人はスマートフォンやスマートウオッチを所持するなり身に付けたり
することで、知識を記憶することなく、端末で検索する、所謂「ググる」ことで最新
の情報が入手でき、他人に訊かずに自己完結できてしまうのですが、これは人間を
「馬鹿」にするのではないかとこのコラムは問題提起しています。
個人的にはこの意見に賛成なのです。それというのも、私個人では、解からないこと
は現在も紙の本で調べ、字引を引くことで自分の無知に対して自戒するのです。極論
すれば、知識ががらんどうの人間は、いざというときに適切な判断が下せるのかとい
う生命の危険にも及ぶ危険性を孕んだ問題に検索というものがあるのではないかと思
うのです。
本能があるではないか、という反論があると思うのですが、現代社会に生きる人間に
そもそも本能は残されているのかといえば、それはお寒い限りではないのではないで
しょうか。
例えば天気すら天気予報に全てを委ねて、自分の経験則や古人の知恵により、明日は
晴れか雨かは何となく解かっていた筈なのですが、今ではその本能的なものを現代人
はネットに転がる天気予報に全的に委ねている状態で、天気という生命の危険に直結
するものすら最早自分で判断することがありません。ましてや天気予報が外れると天
気予報官に苦情を言うという本末転倒していることを平気で行う「馬鹿」さを存分に
発揮しているのが現代人ではないでしょうか。
情報は少ないより多い方がいいのですが、この情報過多の中、情報を選択するのにグ
グることで最初に検索で表示されたページを見て、何かを知った気になることは、生
命の危険が伴うということ、つまり、自分では最早リスクの判断ができずにGoogleに
おんぶに抱っこという状況の危うさを、検索することで日常を暮している人はもっと
気にするべきです。