党首討論での「ポツダム宣言」問題
5月20日に行われた党首討論で共産党の志位和夫委員長が安倍晋三首相に「ポツダム宣
言」に関して問いただし、それに対して安倍首相がポツダム宣言の「世界征服」のた
めの戦争であるのかどうか詳らかでないと、論戦を避けたことが話題となっていま
す。志位委員長のそれは、明かに安倍首相の些末な言質の揚げ足取りを狙っていたこ
とがありありと解かり、それに乗らなかった安倍首相はそれはそれで一つの見識であ
り、そのことに対して安倍首相が批判される謂れはありません。唯、志位委員長は、
自身のポツダム宣言に対する見解を全く述べることなく、また、自身の戦争観に関し
て全く述べていないことから、これはそもそもが「不毛」な論戦にしかならないのは
誰の目にも明らかで、第二次世界大戦中に共産党のみ戦争反対を唱え続け、それによ
り、多くの共産党員が収監され、また、殺戮されたことの自負があることからの志位
委員長の発言だと思えるのです。だからと言って、志位委員長の戦争観が全く語られ
ずにポツダム宣言の受諾に関する安倍首相の認識を問うということは論戦が、全く深
まらず、唯、中空を言葉が飛び交うだけの中身のない討論にしかなり得ないのは初め
から解かっていたことなのです。
確かに、安倍首相は、ポツダム宣言を戦勝国による戦勝国のための宣言と捉えている
ことはこれまでの安倍首相の発言から解かるのですが、安保体制の大転換を話し合う
ことになる今国会で、そもそもポツダム宣言の認識に関する不毛な論戦を今行っても
何なら歴史は変わりません。それならば、志位委員長の安保に対する実際的な考えを
率直に述べなければ、話は、いつまでも平行線のままで、それを鬼の首をとったかの
ように嬉々としている志位委員長を筆頭とする共産党の浅薄さばかりが浮き立つこと
になるのです。
日本は先の大戦で世界征服を考えていないということははっきりとしていて、この
点、ポツダム宣言を反故にしたのは、東京大空襲をはじめとする無差別大量殺戮を繰
り返し行い、挙句の果てに原爆を二発も日本に落とした戦勝国の残忍さがポツダム宣
言から既に逸脱しているのは明白です。戦勝国の戦争犯罪が全く罪に問われることな
く、日本のみが東京裁判で「平和に対する罪」というポツダム宣言になかった「罪」
に問われたことは戦勝国の横暴とも思え、それに対して何の疑念も抱かずにポツダム
宣言を読める日本人は少ないように思います。とはいえ、日本は、ポツダム宣言を受
諾した歴史は変わりません。