沖縄慰霊の日
6月23日は第二次世界大戦での沖縄戦が沖縄糸満市で事実上終わった日として沖縄では
毎年「慰霊の日」として二十万余りの戦没者を悼んでいます。そして、今年は戦後七
十年という節目を迎えました。
この慰霊の日の式典では翁長雄志沖縄県知事が「平和宣言」としての演説で沖縄県名
護市辺野古への基地移設問題に半分以上を費やし、また、式典に出席した安倍晋三首
相とはわずか五分の会談ということで、沖縄と日本本土との溝の深さを浮き彫りにし
ました。
沖縄では「自己決定権」という言葉が躍っているようです。つまり、それは、沖縄の
ことは沖縄の人が決めるという余りに楽観的な希望なのです。その中で、沖縄独立論
も再び頭を擡げているようで、それは沖縄以外の場所から眺めるといかにも甘い「幻
想」にしか思えないのです。確かに、第二次世界大戦末期、沖縄は、米軍の「気まぐ
れ」にも思える作戦で、日本本土の「捨石」となり、沖縄の住民の四人に一人が亡く
なるという多大な犠牲を出した凄惨な戦闘としてその歴史は語られなければなりませ
ん。しかし、だからと言って遠い昔の琉球王朝の繁栄していたときの郷愁で、沖縄独
立論を語るのであれば、それは沖縄争奪戦の始まりになり、日米中の思惑に今以上に
翻弄される沖縄の有様が目に浮かびます。つまり、沖縄は沖縄による自己決定権が、
あるようでいて、現状では無きに等しいのです。それは、沖縄の人々にとっては大い
なる憤懣に違いありません。それを知ったうえで沖縄の置かれている現状を俯瞰的に
語ると、現在、沖縄は対中国の防波堤なのです。日本にとっても、米国にとっても沖
縄は対中国の最前線で、その情勢から沖縄がのがれることは現状ではないのです。
と言いつつ、個人的には沖縄の人々が口にする独立論には賛同しない訳ではありませ
ん。日米中のいづれにも属さずに沖縄が立てるのであれば、それは沖縄が日本から独
立をするのも悪くないかもしれません。しかし、多くの米軍基地が置かれている現状
で、沖縄が独立を語るのは、米国を敵に回すだけで、それは、沖縄の未来を自らの手
で摘んでしまう行為に他ならないと思います。